あの日から久しぶりの海でした。
あれから2週間ちょっと。何だか夢のような日々でした。
少しだけ書けそうなので書きます。
この記事で初めて知る方も多いと思いますが、新島最高のサーファーであるシンシあんき(兄貴)こと、宮川 茂氏が去る1月12日に天国へと旅立ちました。
自分にとってどんな存在かというと、当てはまる言葉が思いつきませんが・・・
あえて言うなら、波乗りの神様であり兄貴(兄弟)であり仲間であり、でっかすぎる凄い人間です。
とは書いてみたものの・・・やはり文字ですべてを言い表すことができませんね。
一つだけ・・言える事は、肉体は消えても自分が死ぬまで心の中からシンシあんきが消える事はないということです。
さて、今日はシンシあんきの羽伏浦で、シンシあんきに、「超旨いお酒」を飲ませました。自分も少しだけいただきました。
不思議ですね。
葬儀の時は、俺よりシンシあんきと長く深い付き合いがある先輩方がたくさんいて涙をこらえているし・・・
それに、明るいのが好きな人だったということもあり、それほど涙がでなかった。のに・・・
今日は号泣してしまい、しばらく止まらずに困りました。
1対1の今生のお別れだったので、お許しを。
未だに実感がわきません。
文字を打ってもウソくさくて・・・・
それでもこうして、upしている瞬間、記憶が次々に蘇ってきます・・
書きたい事は山ほどあります。
ありすぎて・・・深く書くことはできませんが・・・
一部だけ
最初の記憶。
家が近所ということもあり、40数年前、保育園から帰る俺や同級生の学(まんぶ)を見守っていてくれたのが最初の記憶です。
その後は、中学から波乗りを始めて、数々のライディング伝説を目の前で見せつけられましたが、当時は神のごとく雲の上の存在で、口なんかきけませんでした。
そんな存在だったのですが、近づけてくれた先輩がいました。
俺たちの年代とシンシあんきの間には、言わずと知れたローカルのヒロあんきこと大沼弘一さんがいて、中学生の頃から、ヒロあんきが最も身近な兄貴でした。
直接的には、酒の根性も、波乗りも、喧嘩の根性も教えてもらいました。
NSAで初めて創設された支部長クラスで、初年度から3連覇を成し遂げたのは有名です。
そんな兄貴が事実上の葬儀委員長。
葬儀のあの日、ヒロあんきを見ると涙がでそうになるので避けていたぐらいです。
俺の8つ上がヒロあんき、その8つ上がシンシあんき。
不思議な運命?です。
ヒロあんきがいてくれたおかげで、もの凄く親しくなる事ができました。
羽伏浦メインゲートハウス→3人の最初の成果。
正直、サーファーであるヒロあんきと俺は造りたくなかった。
てっ、言うか、羽伏浦の波の恐ろしさを知っている自分達は、構築物なんて絶対ぶっ壊れると思っていましたし、何よりも羽伏浦にコンクリートをいれたくなかったというのが「当時」の本音。
でも命令。
どうせ手を付けなければいけないのなら俺たちサーファーの手で!
そう思って、羽伏浦を熟知しているシンシあんきのところに、毎日夕方仕事帰りに通い、ウイビーを飲みながら、とことん語り合って造ったのがアレです。
未来、どんな津波が来ても壊れないでしょう!
羽伏浦を知り尽くした3人の結晶です。
って書いて・・・・
切りがないので一旦止めます(汗)・・・
これから何を・・・どの一部分を・・受け継げばよいかわからない。
あまりにも重すぎて・・・
今日は羽伏浦に入る事で少しだけケジメをつけたかった。
とてもふっ切れないけど・・・でも入りたかった。
今後、自分が生きている間は、あんなでっかい人間は生まれない。
思い出の写真をupさせていただきます。
シンシあんき!
いいよね!?
伝説の黒根。
戒名に「波乗」という文字を戴いた初めてのローカルサーファー。
もういない・・・
にしきのあきらさんと
憲二と
シンシあんき
やすらかに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大好きなバリにて
笑いながら「ばかやろうw」という言葉が聞こえそうです。